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東京五輪延期、急転直下の決定 [そのほかニュース関係]

東京五輪・パラ、「1年程度」の延期決定 「東京2020」の名称は維持(BBC)


まさに急転直下の決定、とはこういうことを言うんだと思います。
先週まで「次の土曜日に行われるサッカーの試合のように五輪を延期することはできない」(フットボールチャンネルより)「五輪開催時期の最終判断は時期尚早」(朝日新聞デジタルより)と話していたIOCのトーマス・バッハ会長。しかし、23日には開催時期の判断を4週間以内に決定するということになり、24日夜に来年夏を目処とする開催延期が決まりました。夏季五輪の中止は過去にも例があり、そのうちの1つが1940年東京五輪でしたが、延期は初めての事態です。


延期論は先週から世界各国で出はじめていました。特に大きかったのは全米陸上競技連盟と米国水泳連盟が東京五輪の開催延期をそれぞれ米国オリンピック委員会に求めたことだと思います(該当記事)。五輪参加国のなかでも多くの選手を出場させるアメリカの、主要団体である陸連と水連が異口同音に開催延期を求めたことはIOCに極めて大きなインパクトを与えたことでしょう。


一方、バッハ会長は日本側は放映権を購入している主要国の放送局との調整の問題から先に紹介した発言を繰り返していたのだと思います。しかし、カナダのオリンピック・パラリンピック委員会が年内開催の場合は選手を派遣しないという、事実上のボイコット宣言に踏み切るなど、情勢は延期へと傾いていました。また、米国で五輪放映権を有するNBCが開催延期に事実上賛同したことも後押しとなったでしょう(関連記事)。


日本側としてもボイコットは避けたいところ。しかも、今のタイミングであれば新型コロナウイルス感染拡大の状況は国内よりも海外、特に欧米で深刻化していることから、延期の理由を「世界での感染拡大」を理由にできます。これが2月までだと、日本での感染拡大に世界が懸念を示していた時期なだけに、日本から開催延期を主張または賛同するのは政治的に難しかったように思います。


以上のようなIOC側、日本側の条件が揃ったことからこのタイミングでの延期発表になったのだと思います。2021年夏は世界陸上と世界水泳があるのですが、前者は米国開催、後者は日本開催。世界陸連は開催延期を主張したあたりから、世界陸上の開催延期準備の話が出ており、五輪延期を見据えて(もしかしたらIOCからの調整を受けて)動いたんだと思います。世界水泳については今後ですが、国内開催ですから他国開催に比べれば容易ではないかと思います。


新型コロナウイルスの感染拡大はついに東京五輪すら開催延期に追い込みました。しかし、世界での感染拡大は収まっておらず、終息の見通しはたっていません。外出禁止を発令する国も増えています。長期戦になる可能性も出ており、もしかしたら今年は息苦しさが続いてしまうのかもしれません。


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新型コロナウイルス [日記・日々の雑感]

最初にこのニュースを見たのは1月の仕事始めの週。香港かシンガポールのニュースでだったように記憶している。当時は「中国・武漢市でSARSとは別種のコロナウイルスの感染者が発生」という報道だった。このとき、私の関心はどちらかというと米イラン情勢のほうにあり、武漢市での新型コロナウイルスのニュースは「あまり拡大しなければいいな」程度の感想だった。



それから2カ月。1月下旬から日本国内でも発症者の報道が出始め、2月に入ってからはダイヤモンド・プリンセス号の問題、その他でも感染者数が増加。世界に目を向ければ、韓国では新興宗教団体を中心に感染拡大、欧州ではイタリアを中心に感染が拡大し、フランスやドイツも対応に追われている。中東でもイランで感染者数が急増、イラクなど近隣諸国にも感染拡大の兆しが見えている。米国でも西海岸を中心に感染が広がっており、ニューヨークでも発症者が出ている。



大陸や海を超えた人、モノの動きがどんどん緊密になるなかで、こういった感染症の拡大というのはこれほどの勢いで進むものなのか、と恐怖すら感じる。仕事関係でのイベント中止の連絡を受け取り、近所のドラッグストアでマスクやトイレットペーパーが品切れになっているのを見るたびにCOVID-19と名付けられた新型コロナウイルスの脅威が身近に迫っていることを否応がなしに感じざるを得ない。



だからといって自分にできることといえば、いつも以上に手洗い、うがいを心がけることくらいなのだろう。そう思って外出から戻るといつもより念入りに手洗い、うがいをし、コートに除菌スプレーをする日々である。
タグ:COVID-19
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ドイツ政局の混迷~チューリンゲン州の混乱~ [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

メルケル首相「後継者」が辞意表明 独与党の将来に暗雲(AFP)

10日にキリスト教民主同盟(CDU)のクランプカレンバウアー党首が辞意を表明しました。2018年にメルケル首相がバイエルン州やヘッセン州での州議会選挙で政権与党が敗北したことを受けて2021年の任期満了での首相退任とCDU党首の辞任を発表。クランプカレンバウアー氏は同年12月の党首選挙で当選し、党首となり、昨年7月からは国防相に就任していました。クランプカレンバウアー氏はポスト・メルケル最有力候補となる一方、昨年の欧州議会議員選でもCDUが惨敗するなど、支持は伸び悩んでいました。


そのクランプカレンバウアー氏にトドメを刺したのが、チューリンゲン州の混乱でした。チューリンゲン州は旧東ドイツの地域で、人口は約220万人。ドイツの中でも比較的小さな州です。昨年10月、このチューリンゲン州で州議会議員選挙がありました。結果は以下の通りとなりました。

定数90 ()内は選挙前からの増減
左派党29(+1)
ドイツのための選択肢(AfD)22(+14)
キリスト教民主同盟(CDU)21(-12)
ドイツ社会民主党(SPD)8(-5)
緑の党5(±0)
自由民主党5(初)


チューリンゲン州はもともと左派党の勢力が強い地域で、州首相も左派党のボド・ラメロウ氏でした。14年州議会選以降、左派党、社会民主党、緑の党による3党連立政権で運営されていました。総選挙の結果を見ると、左派党は第一党を維持した一方、ドイツのための選択肢が躍進。一方、CDUは議席を大幅に減らし、大敗北となりました。

しかし、今月5日の州首相選挙で自由民主党のトマス・ケメリヒ氏がCDUとAfDの支持を受け、わずか1票差でラメロウ氏に勝利しました。これがドイツ政局を一気に混乱へと陥れることになります。


と、いうのも極右勢力とされる政党の支持を受けて州首相が誕生したのは戦後ドイツではこれが初めてでした。また、CDUは国政・地方問わず極右・極左勢力との協力を禁止しています。つまり、チューリンゲン州のCDUは左派党政権を倒すために、中央の規則を無視してAfDと手を組んだわけです。


これに対してメルケル首相はこの投票結果を激しく批判しました。現在のメルケル政権はCDUとキリスト教社会同盟(CSU)、それにSPDとの大連立政権です。地方政治といえどAfDと手を組んだことを容認すれば政権が即刻崩壊しかねない事態です。また、国政政党としての自由民主党もチューリンゲン州での行動には批判的な態度を示します。このため、翌6日にトマス・ケメリヒ氏は州首相を辞任し、州議会の解散総選挙を求めると発表しました。州首相就任からわずか1日での辞任でした。


このチューリンゲン州での混乱は国政にも影響を与える結果となり、クランプカレンバウアー氏の党首としての指導力が疑問視されることになりました。このため、今回の辞意表明につながってしまいました。ただ、クランプカレンバウアー氏は今年12月の党大会で正式に党首を選ぶ方針を示していますが、これに対して「遅すぎる」との批判が党内から上がっており、一体いつCDUの次期党首が選ばれるのかは不透明な情勢です。


さらに、この事態はメルケル政権の将来にも不安を与えています。メルケル首相としては、クランプカレンバウアー氏をポスト・メルケルに置きながら、2021年の任期満了まで首相として在任する算段でした。しかし、クランプカレンバウアー氏の辞任、そしてチューリンゲン州での混乱によるSPDとの関係悪化でその算段が崩れる可能性も出ています。メルケル首相は昨年、ウクライナのゼレンスキー大統領を迎える式典で発作を起こした姿が報道され、健康不安も指摘されています。ドイツの政局は一気に不安定化するかもしれません。
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トランプ大統領は何故、ソレイマニ司令官の暗殺を決断したのか(2) [中東・イスラエル関係]

前回(1)で述べたように、トランプ大統領の中東政策の基本方針は兵力縮小です。昨年はともすればアメリカが対イラン軍事作戦に出かねない出来事がいくつかありました。その中でも、6月20日のイランによる米無人偵察機の撃墜、9月14日のイエメンのフーシ派によるサウジアラビア東部にあるサウジアラムコの石油関連施設への大規模なドローン攻撃でした。しかし、トランプ大統領は前者の事件では一時イランの軍事拠点への空爆を支持したものの、開始10分前に取り消し。後者ではtwitterで攻撃準備ができている旨を発言したものの、実行することはありませんでした。


では、何故トランプ大統領はイランとの軍事的衝突のリスクを負うような行動に至ったのか。それを理解するには、昨年後半のイラクの情勢について目を向ける必要があります。
イラクでは昨年10月から大規模な反政府デモが発生。治安当局との衝突で400人以上の死者と1万5000人以上の負傷者を出していました。これまで、イラクでは宗派間対立を要因とした衝突などが頻発していましたが、これだけの規模に到るデモは初めてでした。しかも、このデモの要因となったのは経済問題と反汚職でした。
イラクでは18年5月の総選挙を経てシーア派勢力主導の政権が誕生しました。しかし、経済状態は一向に改善せず、若者の失業率は25%に達していると言われています。また、公共インフラの整備も遅れ、汚職も頻発していました。こうしたなか、昨年10月から始まったデモでは宗派や民族を問わず政府への抗議の声が上がり、ISとの戦いで活躍した民兵組織「人民動員隊」の元兵士たちまで参加する有様でした。11月末には現在の政権を支えているとして、イラン大使館がデモ隊の襲撃を受け、治安部隊と衝突。自体を沈静化できなかったアーディル・アブドゥルマフディ首相は辞任に追い込まれます(現在は暫定首相の地位にある)。12月に入ってもデモが続き、次期首相の選定が遅れる(現在も決まっていない)などイラク政府の政治的混乱も収まっていません。


これに焦ったと言われているのがソレイマニ氏です。このままデモが収まらず、政権が打倒されてしまえば、自分たちが影響力を行使できなくなってしまうからです。そこで考えたのが民衆を反イランから反米に向かわせようとしたわけです。これは、内政が混乱したときに、外交的敵対勢力への危機感を煽ることで内政の混乱を終息させようとする伝統的な手法とも言えます。
昨年12月27日にイラク・キルクーク近郊のイラク軍施設でロケット弾攻撃。米国人1人が死亡、米国兵とイラク兵合わせて6人が負傷します。アメリカはこれをカタイブ・ヒズボラの犯行として、拠点への空爆を実施します。これに反発したシーア派勢力が12月31日にバグダッドの米国大使館前でシーア派勢力が大規模デモ、大使館への放火や侵入を試みて、大使館側と衝突します。
こうして見ると、ソレイマニ氏の思惑は成功したように見えます。しかし、最大の誤算は自分が暗殺されてしまったことでしょう。かつては水面下で米国と協力していたこともあり、革命防衛隊の実質的No.2である自分を暗殺するとは考えていなかったのかもしれません。しかし、トランプ大統領は実行に移したわけです。


トランプ大統領にソレイマニ氏暗殺を決断させた、決定的な出来事はバグダッドの米国大使館での衝突だったと言われています。
イランとアメリカ大使館といえば思い起こされるのは、イラン・イスラム革命直後の1979年11月に発生したイランアメリカ大使館占拠事件です。当時、イランのアメリカ大使館では、アメリカがイランを脱出したパーレビ国王のアメリカ入国を認めたことを受けて激しい抗議デモが行われていましたが、11月にデモ隊が大使館内に突入し、大使館内にいた職員など52人が事実上人質となります。奪還作戦の失敗も重なって、1980年のアメリカ大統領選挙で再選を狙っていた当時のジミー・カーター大統領は共和党候補者だったロナルド・レーガン氏に敗北。人質が解放されたのは、カーター大統領が退任する1981年1月20日でした。

今年の大統領選での再選を目指すために、あらゆる手段を講じているトランプ大統領にとって、バグダットでの米国大使館襲撃は肝を冷やす事態であったことは想像に難くありません。ともすれば、40年前のジミー・カーター大統領と同じ立場に自分が置かれるかもしれなかったからです。そこで、トランプ大統領が最も直接的な防衛手法として12月末の一連の策略を巡らせたとされる人物、つまりソレイマニ氏の暗殺に踏み切った可能性は極めて高いと考えられています。



こうして今年1月3日にソレイマニ氏暗殺を実行したトランプ大統領。一方のイラン側は同月8日にイラクのアル=アサド空軍基地を弾道ミサイルで攻撃します。意図的に居住エリアを外して攻撃したと見られており、アメリカ兵に大きな被害は出ませんでした。その後、現時点で大きな軍事行動にはアメリカ、イランとも出ていません。
今後を考える上での不確定要素は「ハメネイ師が本音のところでソレイマニ司令官の死をどう考えていたのか」です。前回も述べたように、ソレイマニ氏はイランでは英雄扱いされており、ハメネイ師の信頼も篤いとされています。一方で、イラクやシリア、レバノンで影響力を持つソレイマニ氏はイランの指導者にとってはかつての日本における関東軍のような存在であった可能性も想像できます。実際にソレイマニ氏は「イラク総督」のように振る舞っていた、との海外報道も存在します。国内に対してはソレイマニ氏暗殺の報復を宣言しているハメネイ師ですが、実際のところソレイマニ氏を本当に信頼していたのかどうかはわからないところです。いずれにせよ、アメリカとイランを巡る問題は米大統領選挙や中東の様々な政治情勢を巻き込んで、想像のできない状況に陥っているように思います。
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欧州連合の黄昏 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

欧州議会、別れを惜しむ大合唱 ブレグジット協定案可決で (英BBC)

欧州議会がイギリスとの離脱協定案を可決したことで、ブレクジットに向けた手続きがほぼ終了。ベルギー時間の1日午前0時(日本時間1日午前8時)を以てイギリスはEUを離脱します。ただし、今年末までは移行期間ということになり、その間に貿易協定を纏める必要があります。そういう意味ではブレクジットを巡る混乱は終わったわけではなく、第2幕に入っただけなのかもしれません。

さて、その離脱協定案可決後の欧州議会では上記記事にあるように、欧州議会議員たちがスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」(「蛍の光」の原曲)を歌って別れを惜しんでいます。英国内でもEU残留派が多いとされるスコットランドの民謡で別れを惜しむというのは、何とも皮肉な印象を受けます。

日本ではスーパーなどの閉店のときに流れるこの歌。単にイギリスへの惜別の歌としてだけではなく、EUそのものの黄昏を象徴しているのではないか、と感じずにはいられないです。

東欧諸国を中心にEUに批判的な勢力が拡大するなか、昨年11月に就任したウルズラ・フォンデアライエン欧州委員会委員長を中心にどのような舵取りをしていくのか。むしろここからがEUにとっては正念場になるでしょう。
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トランプ大統領は何故、ソレイマニ司令官の暗殺を決断したのか(1) [中東・イスラエル関係]

遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。


さて、新年早々世界に衝撃を与えるニュースが出てから3週間近くが経過しました。
1月3日、米軍はバグダッド国際空港で無人攻撃機によるミサイル(ロケット弾?)攻撃を実施。イラン革命防衛隊コッズ部隊司令官ガーセム・ソレイマニ氏「カタイブ・ヒズボラ」最高指導者ムハンディス氏などが死亡しました。ソレイマニ氏がバグダッドに到着したばかりで、ムハンディス氏とともに車両に乗って移動しようとしたタイミングを狙われた、とされています。同日、トランプ大統領は「米国兵士やその関係者を狙ったテロ攻撃が計画されており、それを阻止するため」と攻撃の正当性を主張します。一方、イランではハメネイ師などが報復を宣言し、緊張が高まりました。


その後、1月8日に米軍やNATO加盟国の兵士などが駐留しているイラクのアル=アサド空軍基地にイランが弾道ミサイル攻撃を実施。米軍やNATOの兵士には被害がなかったものの、イラク兵に死傷者が多数出ました。その後、トランプ大統領はこの記事を執筆している時点では反撃を実施しておらず、イラン側も目立った軍事行動はとっていません。


この一件を理解するためには「ソレイマニ氏はイラクで何をしていたのか?」を知る必要があります。そもそも、彼が指揮官を務めていたコッズ部隊(ゴドス、クッズなど呼ばれ方はバラバラ)はイラン革命防衛隊の対外工作機関です。日本国内の報道では「精鋭部隊」と言われていますが、そういった特殊部隊のような組織ではないとされています。中東や北アフリカでの対米テロへの関与が指摘されており、日本では1991年7月11日に発生した悪魔の詩訳者殺人事件への関与が疑われています。シリアのアサド政権、レバノンのヒズボラ、イラクのシーア派勢力などへの支援を実施し、シリア内戦では反体制派支配地域での非人道的行為への介入も疑われています。

ソレイマニ氏自身は1979年のイラン・イスラム革命において活躍。革命防衛隊に参加後はイラン・イラク戦争などで戦功を挙げて出世していきます。イラン最高指導者ハメネイ氏の信頼も篤く、実質的な革命防衛隊のNo.2とも言われる人物でした。他方、米国ではイラン国内での言論弾圧、シリアでの虐殺への関与、一連の対米テロ活動で米国のテロ関係者リストに記載されています。

ただ、9.11同時多発テロ後のアフガニスタン戦争やイラク戦争では、コッズ部隊がネットワークを持っていたシーア派系武装勢力の協力を得るために、アメリカとコッズ部隊が協力関係を結んでいた時期もあり、まさに「敵の敵は味方」で敵対一辺倒の関係ではなかったようです。イラク戦争後にイラク国内での宗派間対立が激化するとともに、米国側とコッズ部隊との関係は悪化、ソレイマニ氏もテロ関係者リスト入りすることになります。しかし、ブッシュ、オバマ両大統領ともこれまで幾度となくソレイマニ氏暗殺が俎上に載っても、実行することはありませんでした。それは、過去には協力関係があった点やハメネイ師の信頼も篤かったことから、「ソレイマニ氏暗殺はイランとの関係の決定的な破綻を招く」と見ていたからです。


最近ではISとの戦いで協力関係にあったと言われています。ISとの戦いではイラク国内のシーア派武装勢力も参戦し、アメリカと事実上の協力関係をもっていました。その1つがカタイブ・ヒズボラでした。カタイブ・ヒズボラは2007年後半にイラクのシーア派武装勢力が駐留する多国籍軍の排除を目指して合併・結成された武装勢力です。イランの革命防衛隊やレバノンのヒズボラから支援と戦闘訓練を受けて勢力を拡大し、09年に米国はこの組織とムハンディス氏を制裁対象になっています。米国はムハンディス氏を「ソレイマニ氏のイラクにおける副官」とすら見ていました。ISとの戦いが始まると、他のシーア派武装勢力と連合体「人民動員隊」を結成し、イラク治安部隊などとともに戦っています。人民動員隊は現在3万人以上の兵力を有するとされており、ISとの戦いがほぼ終息した昨年からは米軍などイラク国内の外国駐留軍に激しい批判を向けていました。



こうした微妙なバランスのなかで、ソレイマニ氏暗殺を決断したトランプ大統領。そもそもトランプ大統領は16年大統領選のころから一貫して中東方面での米軍の縮小を主張しています。昨年6月20日に革命防衛隊が米軍の無人機を撃墜した際には、報復攻撃を決断するも開始直前に撤回し。対イラン軍事攻撃を強硬に主張するボルトン大統領補佐官(当時)との対立が深まる要因となり、ボルトン氏はのちに辞任しています。そのトランプ大統領が何故下手をするとイランとの全面戦争になりかねない決断を下すに至ったのか、それは昨年10~12月に起こったイラクでの騒乱に原因がありました。


(2)へ続く



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イギリス総選挙とブレクジットの今後 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

先日実施されたイギリス総選挙。結果は保守党の圧勝となりました。
NHKのイギリス総選挙サイト

上記HPにも結果が記載されていますが、以下のようになっています。※()内は選挙前議席からの増減
保守党365(+67)
労働党203(-40) 
スコットランド国民党(SNP)48(+13) 
自由民主党11(-8) 
諸派・無所属23(-31)

保守党の獲得議席数は1983年以降のマーガレット・サッチャー政権下における保有議席数以来の大勝となりました。一方、労働党は1945年以降では過去最低の獲得議席となりました。労働党の敗北っぷりは深刻なもので、労働党が支持基盤としていたイングランド北部や中部を保守党に奪われ、スコットランドはSNPに奪われることになりました。また、かつてトニー・ブレア元首相の地盤だった選挙区も保守党に奪われました。その他の政党では自由民主党の代表がSNPに、北アイルランドの地域政党である民主統一党の院内代表はシン・フェイン党の候補者に敗れています。

また、今年10月末に労働党が議会に提出した「合意なき離脱」阻止法案に保守党から造反して賛成し、その後ジョンソン首相によって除名された21人も当落が分かれ、テリーザ・メイ政権で閣僚を務めたデイヴィッド・ゴーク氏は保守党が立てた対抗馬に敗れています。

ボリス・ジョンソン首相は就任当初から厳しい政権運営を迫られ、議会の閉会措置もあって非常に厳しい立場に置かれていました。しかし、今回の選挙の勝利によって政権基盤を固め、公約としていた来年1月31日のEU離脱を確実なものにしました。



今回の選挙結果の背景には何があったのでしょうか?
各党の投票率が前回(17年)総選挙と比べてどうだったのかを比較すると、保守党は+1.2p、労働党が-7.9p、自由民主党+4.2p、SNP+0.8p となっています。保守党がそこまで支持を伸ばしていない一方、労働党が大きく支持を落としています。つまり、保守党が大勝したというより、労働党が大敗したといえます。


今回の選挙で大きな要素となったのが「イギリス社会に蔓延したブレクジット疲れ」とも言える状況です。16年6月23日の国民投票以来、3年半にわたりイギリス社会と政治はブレクジットへの対応に奔走してきました。政治家だけではなく、国民の間でも離脱派と残留派の間で激しい対立が続くなか、政治がブレクジットにかかりっきりになってしまい、他の社会問題への対応に遅れが出ていました。こうしたなか、ブレクジットに関して各党が出したマニフェストは

保守党:先日決まった離脱協定案で来年1月31日に離脱
労働党:労働党政権で離脱協定案再交渉→協定案での離脱か残留かで国民投票
SNP:離脱か残留かで国民投票
自由民主党:国民投票なしで離脱とりやめ

↑こうなっていました。再度の国民投票に対して「何度国民投票をすればEUを離脱するのか、しないのかはっきりするのか」というウンザリ感が蔓延するなかで、混乱がしばらく続くであろう労働党の案が支持されなかったとみられています。


もう1つがブレクジットに対する労働党のスタンスが不明確だった点です。以前の記事(こちら)でも解説した通り、保守党も労働党も党内で離脱派と残留派が入り混じっていた。しかし、保守党はジョンソン政権が誕生して以降、10月末の造反者の除名などもあって、離脱派が主導権を握っている。一方、労働党は党内に離脱派、残留派双方を抱えており、ジェレミー・コービン党首も曖昧な態度を繰り返していた。こうしたはっきりしない姿勢が残留派、離脱派双方の労働党離れを加速させた可能性が高く、「労働党は伝統的地盤のイングランド北部・中部が保守党へ、スコットランドはSNPへ流れた」と言われています。


ここまで書くと「保守党は棚ぼたで勝利を獲得した」ように見えますが、もちろん決してそうではありません。ジョンソン首相は16年の国民投票で離脱派が多かった地域を重点的に周り、支持を獲得しています。実際に16年国民投票で離脱派が過半数を占めた選挙区のうち、75%で保守党が議席を確保しています。それに対し、労働党は残留派が過半数を占めた選挙区でも40%しか議席を獲得できていません。特に先程労働党の伝統的地盤とご紹介したイングランド北部と中部はその多くが離脱派が多数を占めた地域でした。


では、この選挙の結果を受けてブレクジットは今後どのような日程で進むのでしょうか?
イギリスは来年1月31日にはEUを離脱し、その後来年末まで移行期間に入ります。この間にEUとの通商協定(FTAやEPA)を結ぶ必要があります。しかし、双方の議会での承認手続きを考えると来年6月末までには通商協定案が定められる必要があり、あと半年しか時間がありません。通常、この規模の通商協定を結ぶ場合には数年がかりの作業となる場合も少なくないだけに、あまりに時間がありません。ジョンソン首相は移行期間の延長は行わないと明言しているだけに、新たな頭痛の種となりかねません。また、通商協定以外にも外交や安全保障、犯罪人引渡し協定など様々な分野に渡って協定を策定する必要があり、離脱したからといってすぐに落ち着くものでもないでしょう。



また、ジョンソン首相はEU以外でもあらゆる国々と積極的に通商協定を結ぶ姿勢を見せており、そう遠くないうちに日本との貿易協定交渉も始まる可能性があります。日英間でFTAやEPAを結ぶほかに注目を集めているのがTPP(環太平洋経済連携協定)です。メイ政権時代から離脱後の貿易関係の1つとしてイギリス政府はTPPに関心を示しており、日本も情報提供などを実施していました。イギリスにとってもアジアや南米、オセアニアに手っ取り早くアクセスする手段として魅力的です。13日午後には安倍首相が内外情勢調査会での講演で「ジョンソン首相のもと、TPPに英国が参加なら心から歓迎」と話しており、イギリスのTPP加入は現実性のない話ではなくなっています
安全保障分野でも中国の影響力拡大などに対して関心を持っており、特に香港問題ではかつて統治していた関係から様々な発言が出ています。こうした問題に対しても、独自の言動が出てくる可能性があります。



イギリスはEU離脱で1年、もしかしたら2~3年くらいは経済や社会で混乱が発生するかもしれません。しかし、英国はかつて世界の海を支配した国であり、現在も旧植民地国などに少なからず影響力を及ぼしています。したたかな外交を見せるときもあり、決して弱い国ではありません。おそらくは数年すればそこから立ち直っていくでしょう。しかし、それまでには困難な道のりが続くことになるかもしれません。

(この内容は12月15日の生放送にて使用したテキストを再編集したものです)
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離脱期限まであと2か月、なのに議会閉会 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

英首相、議会閉会を宣言 反ブレグジット派猛反発(AFP)

日本でも自民党が選挙で勝ったりすると「民主主義が死んだ」とか叫び始める人たちがSNS上にいるが、イギリスのはさすがユーモアが効いている。こういうセンスを見習ってほしいと思ってしまう。


さて、28日にボリス・ジョンソン首相は英議会を10月13日まで閉会にすると発表。野党議員から猛反発を受けている。そもそも現在、英国議会は夏休みに入っており、9月3日から審議が再開される予定だった。今回の決定に伴い、この翌週にあたる9月10日には議会が閉会され、10月14日の離脱期限2週間半前から新会期がスタートする。


今回の突然の議会閉会を「クーデター」などと批判する人たちもいるが、ジョンソン首相は法律を犯したわけではない。そもそも、イギリスでは各政党の党大会があるため、例年9~10月に3週間程度休会になっている。また、就任したばかりの首相が新たな政策の実施や議会対策を検討するために、一旦会期を終えるというのは前例が少なくない。今回問題となっているのは、その手法ではなくタイミングだと言える。

もちろん、英国議会が夏休みの間、議員たちは遊びに行っていたわけではない。合意なき離脱に反対する野党各党は合意なき離脱阻止に向けて協力することで合意している。合意なき離脱を認めない法律を策定作業も進められていたなかで、今回の閉会となったわけだ。



今後どのような動きが考えられるか。すでに英国各地の裁判所で議会閉会を無効とするよう求める訴訟が起こっているが、手続きそのものは合法であるため、この方法で止めるのは難しいと思われる。

次に合意なき離脱を認めない、または離脱期限の再再々延期を義務づける法律を制定する方法だが、こちらも9月3日から10日までの一週間ほどで通過させるのは困難だ。しかも、これを通過させるとなると保守党内の離脱慎重派も巻き込まないといけないからさらに時間がなさすぎる。かといって、10月14日の開会以降でもこれまた時間がなさすぎる

最後に残ったのが内閣不信任決議案を通すことだ。しかし、これも先程と同じく時間がなさすぎる。すでに労働党のジェレミー・コービン党首は保守党の離脱慎重派に対して合意なき離脱を阻止するために協力するよう書簡を送っているが、解散総選挙につながる不信任案への賛成に同意するかは非常に微妙なところだ。しかも、野党間でも足並みが揃っているとは言い難い。というのも、コービン党首は「合意なき離脱阻止に向けた野党統一内閣」の樹立を提案しているが、自由民主党はコービン氏が首相になるのに反対している。さらに、選挙となれば離脱慎重派が勝利すると言い切れない面もある。今年5月末の欧州議会議員選挙で英国内で最も議席を獲得したブレクジット党のナイジェル・ファラージ党首が総選挙となった場合には候補者を擁立する動きを見せている。


ブレクジットをめぐる英国内の動きはカオスが収まるどころかますます深まっている。個人的には「もはやどうしようもないな…」という気持ちで、10月末にどういう結末を迎えるのかを楽しみにしているところだ。
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イタリア政局落ち着くか? [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

イタリア「五つ星運動」と民主党、連立樹立で合意(AFP )

昨日取り上げたイタリア政局の混迷は「五つ星運動」と中道左派の民主党による連立政権を樹立し、首相にはジュセッペ・コンテ氏が続投する形で一段落したようだ。民主党は昨年4月の総選挙前に政権の中枢におり、五つ星運動はその緊縮財政などを批判。その地盤を奪って総選挙に勝利した経緯があるだけに、両者の関係は決して良いものではない。今回の連立は同盟のサルビーニ氏による政権奪取を阻止するために手を組んだに過ぎないとみられる。

ようやく落ち着きを見せそうなイタリア政局だが、EUに対する姿勢や財政政策を巡ってもともと正反対な民主党と五つ星運動のため、再び政権が分裂する可能性もある。また、サルビーニ氏が政権奪取を諦めたとは思えず、決して油断はできない状況だ。


※昨日の記事で同盟を第一党と記載していましたが、正しくは五つ星運動が第一党で、同名は第二党でした。また、一部議席数にも誤記載があり、訂正しております。
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混迷のイタリア政局 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

27日までに連立枠組み合意を、伊大統領が各党に求める(AFP)

イタリア政局が混迷を極めている。極右政党「同盟」反緊縮を掲げる「五つ星運動」の連立政権が事実上崩壊。ジュゼッペ・コンテ首相が辞意を表明した。セルジョ・マッタレッラ大統領は各党に新たな連立政権の樹立を求めているが、失敗した場合には解散総選挙となる可能性が高い。

イタリア政局の説明をする前に、イタリア議会について触れておきたい。イタリアは上院(共和国元老院)と下院(代議院)の2院制を採用している。日本やイギリスでは下院に優越があり、内閣不信任決議案も下院のみが提出できる。一方、イタリアは両院の権限は対等なので、両院とも内閣不信任決議案を提出することができる。逆に、大統領は上下両院とも解散することができる。選挙制度は州によって少しずつ異なるが、比例代表制が主軸で一部小選挙区制度がはいるいささかややこしいシステムとなっている。比例代表制が主軸のため少数政党が林立しやすいため、中道右派系の政党で連合を組んで政権を運営したり、中道左派系の政党で連合を組んだりと多党による連立政権がほとんどだ。


イタリアはEU加盟国のなかでも財政的に厳しい国の1つだ。そのため、EU各国から緊縮財政と債務圧縮を求められている。こうしたなかで緊縮財政と反EUで支持を伸ばしてきたのが「五つ星運動」だ。イタリアの人気コメディアンであるベッペ・グリッロ氏が2009年に立ち上げた政党だ。昨年3月4日に実施された総選挙(上下両院とも選挙になる)では、貧しい南部を中心に得票率を伸ばし、上院で112議席、下院で229議席を獲得し、第1党になるまで躍進した。


もう1つ支持を伸ばしていたのが極右政党「同盟」。イタリア北部の工業地帯を支持基盤とする地域政党がそのスタートで、かつては「北部同盟」と名乗っていた。極右政党と言われているが、かつては北部の独立を目指していた時期もあり、国家や民族を重視する極右の考え方とは少し違うようにも感じる。ただ、最近では中東や北アフリカからの移民・難民問題を受けて、反移民・反EUの旗色を鮮明にしていたので、近年右傾化したという表現もできる。昨年3月4日の総選挙では、上院で57議席、下院で124議席を獲得し、第2党となった。


その後、反緊縮で左派的な政党である五つ星運動と同名の間で連立協議が実施され、首相に推薦されたのがフィレンツェ大学法学教授のジュゼッペ・コンテ氏だった。余談だが、イタリアでは多党間での連立となるため、学者など政治家ではない人が首相に推薦されるケースが少なくない。


こうして昨年6月1日から発足したコンテ政権だったが、左派的な五つ星運動と右派的な同盟の連立政権でしかも支持基盤が真逆な地域なだけに、内外政策で対立が相次いだ。また、直近の政党別支持率をみても同盟が最も高くなっており、同盟党首でコンテ政権の副首相兼内相を務めていたマッテオ・サルビーニ氏は移民・難民に対する厳しい政策もあって国民的な支持も伸びていた。逆に、五つ星運動は昨年の選挙で公約としていた政策の導入が進まず、支持が伸び悩んでいた。

サルビーニ氏はこうした状況を背景に、五つ星運動を排除しての政権構築を模索。今月20日にコンテ政権に対して内閣不信任決議案の提出に向けた動きを見せたため、コンテ首相が辞意を表明。現在に至っている。つまり、サルビーニ氏が政権奪取を狙って仕掛けた政局というわけだ。

サルビーニ氏は連立の組み換えによる同盟主導の政権構築か、それが難しければ解散総選挙で勝利しての政権樹立を目指している。一方、五つ星運動も左派連合との交渉で連立組み換えによる政権確立を狙っている。ただ、仮に五つ星運動主導の左派政権が構築できたとしても、議会第一党の同盟が抵抗すれば、政局の不安定さが続きかねない。状況は非常に流動的だ。
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