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トランプ大統領は何故、ソレイマニ司令官の暗殺を決断したのか(2) [中東・イスラエル関係]

前回(1)で述べたように、トランプ大統領の中東政策の基本方針は兵力縮小です。昨年はともすればアメリカが対イラン軍事作戦に出かねない出来事がいくつかありました。その中でも、6月20日のイランによる米無人偵察機の撃墜、9月14日のイエメンのフーシ派によるサウジアラビア東部にあるサウジアラムコの石油関連施設への大規模なドローン攻撃でした。しかし、トランプ大統領は前者の事件では一時イランの軍事拠点への空爆を支持したものの、開始10分前に取り消し。後者ではtwitterで攻撃準備ができている旨を発言したものの、実行することはありませんでした。


では、何故トランプ大統領はイランとの軍事的衝突のリスクを負うような行動に至ったのか。それを理解するには、昨年後半のイラクの情勢について目を向ける必要があります。
イラクでは昨年10月から大規模な反政府デモが発生。治安当局との衝突で400人以上の死者と1万5000人以上の負傷者を出していました。これまで、イラクでは宗派間対立を要因とした衝突などが頻発していましたが、これだけの規模に到るデモは初めてでした。しかも、このデモの要因となったのは経済問題と反汚職でした。
イラクでは18年5月の総選挙を経てシーア派勢力主導の政権が誕生しました。しかし、経済状態は一向に改善せず、若者の失業率は25%に達していると言われています。また、公共インフラの整備も遅れ、汚職も頻発していました。こうしたなか、昨年10月から始まったデモでは宗派や民族を問わず政府への抗議の声が上がり、ISとの戦いで活躍した民兵組織「人民動員隊」の元兵士たちまで参加する有様でした。11月末には現在の政権を支えているとして、イラン大使館がデモ隊の襲撃を受け、治安部隊と衝突。自体を沈静化できなかったアーディル・アブドゥルマフディ首相は辞任に追い込まれます(現在は暫定首相の地位にある)。12月に入ってもデモが続き、次期首相の選定が遅れる(現在も決まっていない)などイラク政府の政治的混乱も収まっていません。


これに焦ったと言われているのがソレイマニ氏です。このままデモが収まらず、政権が打倒されてしまえば、自分たちが影響力を行使できなくなってしまうからです。そこで考えたのが民衆を反イランから反米に向かわせようとしたわけです。これは、内政が混乱したときに、外交的敵対勢力への危機感を煽ることで内政の混乱を終息させようとする伝統的な手法とも言えます。
昨年12月27日にイラク・キルクーク近郊のイラク軍施設でロケット弾攻撃。米国人1人が死亡、米国兵とイラク兵合わせて6人が負傷します。アメリカはこれをカタイブ・ヒズボラの犯行として、拠点への空爆を実施します。これに反発したシーア派勢力が12月31日にバグダッドの米国大使館前でシーア派勢力が大規模デモ、大使館への放火や侵入を試みて、大使館側と衝突します。
こうして見ると、ソレイマニ氏の思惑は成功したように見えます。しかし、最大の誤算は自分が暗殺されてしまったことでしょう。かつては水面下で米国と協力していたこともあり、革命防衛隊の実質的No.2である自分を暗殺するとは考えていなかったのかもしれません。しかし、トランプ大統領は実行に移したわけです。


トランプ大統領にソレイマニ氏暗殺を決断させた、決定的な出来事はバグダッドの米国大使館での衝突だったと言われています。
イランとアメリカ大使館といえば思い起こされるのは、イラン・イスラム革命直後の1979年11月に発生したイランアメリカ大使館占拠事件です。当時、イランのアメリカ大使館では、アメリカがイランを脱出したパーレビ国王のアメリカ入国を認めたことを受けて激しい抗議デモが行われていましたが、11月にデモ隊が大使館内に突入し、大使館内にいた職員など52人が事実上人質となります。奪還作戦の失敗も重なって、1980年のアメリカ大統領選挙で再選を狙っていた当時のジミー・カーター大統領は共和党候補者だったロナルド・レーガン氏に敗北。人質が解放されたのは、カーター大統領が退任する1981年1月20日でした。

今年の大統領選での再選を目指すために、あらゆる手段を講じているトランプ大統領にとって、バグダットでの米国大使館襲撃は肝を冷やす事態であったことは想像に難くありません。ともすれば、40年前のジミー・カーター大統領と同じ立場に自分が置かれるかもしれなかったからです。そこで、トランプ大統領が最も直接的な防衛手法として12月末の一連の策略を巡らせたとされる人物、つまりソレイマニ氏の暗殺に踏み切った可能性は極めて高いと考えられています。



こうして今年1月3日にソレイマニ氏暗殺を実行したトランプ大統領。一方のイラン側は同月8日にイラクのアル=アサド空軍基地を弾道ミサイルで攻撃します。意図的に居住エリアを外して攻撃したと見られており、アメリカ兵に大きな被害は出ませんでした。その後、現時点で大きな軍事行動にはアメリカ、イランとも出ていません。
今後を考える上での不確定要素は「ハメネイ師が本音のところでソレイマニ司令官の死をどう考えていたのか」です。前回も述べたように、ソレイマニ氏はイランでは英雄扱いされており、ハメネイ師の信頼も篤いとされています。一方で、イラクやシリア、レバノンで影響力を持つソレイマニ氏はイランの指導者にとってはかつての日本における関東軍のような存在であった可能性も想像できます。実際にソレイマニ氏は「イラク総督」のように振る舞っていた、との海外報道も存在します。国内に対してはソレイマニ氏暗殺の報復を宣言しているハメネイ師ですが、実際のところソレイマニ氏を本当に信頼していたのかどうかはわからないところです。いずれにせよ、アメリカとイランを巡る問題は米大統領選挙や中東の様々な政治情勢を巻き込んで、想像のできない状況に陥っているように思います。
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トランプ大統領は何故、ソレイマニ司令官の暗殺を決断したのか(1) [中東・イスラエル関係]

遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。


さて、新年早々世界に衝撃を与えるニュースが出てから3週間近くが経過しました。
1月3日、米軍はバグダッド国際空港で無人攻撃機によるミサイル(ロケット弾?)攻撃を実施。イラン革命防衛隊コッズ部隊司令官ガーセム・ソレイマニ氏「カタイブ・ヒズボラ」最高指導者ムハンディス氏などが死亡しました。ソレイマニ氏がバグダッドに到着したばかりで、ムハンディス氏とともに車両に乗って移動しようとしたタイミングを狙われた、とされています。同日、トランプ大統領は「米国兵士やその関係者を狙ったテロ攻撃が計画されており、それを阻止するため」と攻撃の正当性を主張します。一方、イランではハメネイ師などが報復を宣言し、緊張が高まりました。


その後、1月8日に米軍やNATO加盟国の兵士などが駐留しているイラクのアル=アサド空軍基地にイランが弾道ミサイル攻撃を実施。米軍やNATOの兵士には被害がなかったものの、イラク兵に死傷者が多数出ました。その後、トランプ大統領はこの記事を執筆している時点では反撃を実施しておらず、イラン側も目立った軍事行動はとっていません。


この一件を理解するためには「ソレイマニ氏はイラクで何をしていたのか?」を知る必要があります。そもそも、彼が指揮官を務めていたコッズ部隊(ゴドス、クッズなど呼ばれ方はバラバラ)はイラン革命防衛隊の対外工作機関です。日本国内の報道では「精鋭部隊」と言われていますが、そういった特殊部隊のような組織ではないとされています。中東や北アフリカでの対米テロへの関与が指摘されており、日本では1991年7月11日に発生した悪魔の詩訳者殺人事件への関与が疑われています。シリアのアサド政権、レバノンのヒズボラ、イラクのシーア派勢力などへの支援を実施し、シリア内戦では反体制派支配地域での非人道的行為への介入も疑われています。

ソレイマニ氏自身は1979年のイラン・イスラム革命において活躍。革命防衛隊に参加後はイラン・イラク戦争などで戦功を挙げて出世していきます。イラン最高指導者ハメネイ氏の信頼も篤く、実質的な革命防衛隊のNo.2とも言われる人物でした。他方、米国ではイラン国内での言論弾圧、シリアでの虐殺への関与、一連の対米テロ活動で米国のテロ関係者リストに記載されています。

ただ、9.11同時多発テロ後のアフガニスタン戦争やイラク戦争では、コッズ部隊がネットワークを持っていたシーア派系武装勢力の協力を得るために、アメリカとコッズ部隊が協力関係を結んでいた時期もあり、まさに「敵の敵は味方」で敵対一辺倒の関係ではなかったようです。イラク戦争後にイラク国内での宗派間対立が激化するとともに、米国側とコッズ部隊との関係は悪化、ソレイマニ氏もテロ関係者リスト入りすることになります。しかし、ブッシュ、オバマ両大統領ともこれまで幾度となくソレイマニ氏暗殺が俎上に載っても、実行することはありませんでした。それは、過去には協力関係があった点やハメネイ師の信頼も篤かったことから、「ソレイマニ氏暗殺はイランとの関係の決定的な破綻を招く」と見ていたからです。


最近ではISとの戦いで協力関係にあったと言われています。ISとの戦いではイラク国内のシーア派武装勢力も参戦し、アメリカと事実上の協力関係をもっていました。その1つがカタイブ・ヒズボラでした。カタイブ・ヒズボラは2007年後半にイラクのシーア派武装勢力が駐留する多国籍軍の排除を目指して合併・結成された武装勢力です。イランの革命防衛隊やレバノンのヒズボラから支援と戦闘訓練を受けて勢力を拡大し、09年に米国はこの組織とムハンディス氏を制裁対象になっています。米国はムハンディス氏を「ソレイマニ氏のイラクにおける副官」とすら見ていました。ISとの戦いが始まると、他のシーア派武装勢力と連合体「人民動員隊」を結成し、イラク治安部隊などとともに戦っています。人民動員隊は現在3万人以上の兵力を有するとされており、ISとの戦いがほぼ終息した昨年からは米軍などイラク国内の外国駐留軍に激しい批判を向けていました。



こうした微妙なバランスのなかで、ソレイマニ氏暗殺を決断したトランプ大統領。そもそもトランプ大統領は16年大統領選のころから一貫して中東方面での米軍の縮小を主張しています。昨年6月20日に革命防衛隊が米軍の無人機を撃墜した際には、報復攻撃を決断するも開始直前に撤回し。対イラン軍事攻撃を強硬に主張するボルトン大統領補佐官(当時)との対立が深まる要因となり、ボルトン氏はのちに辞任しています。そのトランプ大統領が何故下手をするとイランとの全面戦争になりかねない決断を下すに至ったのか、それは昨年10~12月に起こったイラクでの騒乱に原因がありました。


(2)へ続く



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土曜だべり:イラク戦争はなぜ失敗したか [中東・イスラエル関係]

こんにちわ。レポート作成→現実逃避状態のそうてんです。がんばってますw

さて、今回はイラク戦争の話。『なんでいまさらそんな話を?』と思われる方もいるかもしれません。しかし、イラクでの混乱が中東全体に与えた影響は大変大きく、そこのところをまぁづらづらと書いていきます。

私はサダム・フセインの政権を打倒したことは正解だと思っています。彼は金正日のようにミサイル技術を輸出したり、他国の人間を拉致したりはしませんでしたが、クルド人をマスタードガスで虐殺するなど、かなり悪逆なことをやっていました。その点ではあの独裁政権は倒れてよかったと思います。

ですが、それは湾岸戦争のときにやるべきだったのです。湾岸戦争のときはアメリカを中心とする多国籍軍に十分な大義がありました。クウェート奪還後、バグダッドまで進攻し、フセイン政権を打倒すればよかったのです。にもかかわらず、アメリカはフセイン政権を生かしました。そして2003年に大量破壊兵器を製造していることを理由にイラクに攻め込み、今度はフセイン政権を崩壊させました。しかし、大量破壊兵器がないとわかると、アメリカは独裁政権の打倒に大義を変更したのです。私はこれが1番ダメだと思います。戦争を行う上での大義名分は絶対に変更されてはなりません。たとえそれが『正当な理由→正当な理由』であっても、大義は変更してはならないと思います。

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