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ドイツ国防相にクランプ・カレンバウアー氏が就任 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

ドイツ国防相に与党党首のクランプ=カレンバウアー氏が就任(JETRO ビジネス短信)

ウルズラ・フォンデアライエン氏の欧州委員会委員長への指名に伴い、空席となるドイツ国防相にCDU(キリスト教民主同盟)党首のクランプ・カレンバウアー氏が就任することが決まった。このことについて、ドイツの主要メディアは「予想外の人事」と驚きをもって報じているところが少なくない。


フォンデアライエン氏の欧州委員会委員長就任は今年11月1日からだが、今月15日に国防相を辞任。16日には欧州議会から欧州委員会委員長として承認された。メルケル首相は昨年10月に行われたバイエルン州とヘッセン州での州議会議員選挙でCDUが敗北したことを受けて、同年12月に実施されたCDU党首選への不出馬と2021年の首相任期満了での政界引退を表明した。この党首選を勝利し、次期首相最有力候補となっているのがカレンバウアー氏だ。


しかし、カレンバウアー氏も受難が続いている。先日行われた欧州議会議員選でCDUは大きく議席を減らしており、政党別支持率も伸び悩んでいる。また、カレンバウアー氏はザールラント州の州首相は務めていたものの、連邦政府での閣僚経験がない。党首としての名誉挽回と連邦政府での閣僚経験をつけるために、このタイミングで国防相に任じたと見られる。


ただ、ドイツ政局はメルケル首相の健康問題が懸念材料として大きくなっているなかで、カレンバウアー氏の支持率は伸び悩んでいる状況だ。CDUの姉妹政党であるバイエルン州の地域政党キリスト教社会同盟(CSU)はドイツのための選択肢(AfD)の勢力拡大に神経を尖らせており、CDUとCSUの間にも隙間風が生じているようだ。
また、現在は大連立を組んでいる第2党の社会民主党(SPD)も党勢の後退に歯止めがかからない。今年6月に欧州議会議員選挙での敗北を理由にアンドレア・ナーレス氏が党首を辞任して以降、10月末に実施される党首選までは暫定指導体制となっている。こうしたなかで、中道左派票がSPDから緑の党に流出する事態に陥っており、大連立を維持するか解消するかで党内対立が深まっている。


このため、SPD党首選の結果次第では大連立解消も想定されており、そうなればメルケル政権は下院での過半数を維持できなくなり、メルケル首相は解散・総選挙に踏み切る可能性が高いと指摘されている。ドイツ政局の混乱は欧州全体に波及しかねないだけに、注意が必要だ。

(この記事は別ブログにて、7月21日に公開した記事を一部編集して再掲載したものです)
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すったもんだの末に決まった欧州委員会委員長人事 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

EU最重要ポスト2つに初の女性起用 首脳会議で合意(AFP)

今年7月2日のEU首脳会議で欧州委員会委員長、欧州理事会議長(EU大統領)、外交・安全保障政策上級代表(EU外相)、欧州中央銀行(ECB)総裁人事が合意を見た。このうち、欧州委員会委員長には、ドイツのウルズラ・フォンデアライエン前国防相が指名された。同月16日には欧州議会での承認され、今年11月1日に委員長へと就任する。


フォンデアライエン氏は第一次メルケル政権で家族・高齢者・婦人・青少年相として入閣。2013年12月に発足した第三次メルケル政権でドイツ初の女性国防大臣に就任。メルケル首相の後継者の1人にも名前の上がっていた人物だ。


欧州委員会委員長はEUの政策執行機関である欧州委員会のトップを務めるだけに、それが誰になるのかはアメリカの大統領や中国の国家主席が誰になるのかと同じくらい重要な人事だ。5年に1回の欧州議会議員選挙が終わったのち、その結果を考慮して加盟国の国家元首などで構成される欧州理事会で委員長候補が指名される仕組みだ。


しかし、今回の人事は非常に揉めた。メルケル首相は当初、欧州議会最大会派の欧州人民党(EPP)グループが推薦していたマンフレート・ウェーバー氏を支持していた。しかし、マクロン仏大統領が政治経験の無さを理由に反対。その後、第2会派である欧州社会・進歩同盟(S&D)が推薦するティメルマンス欧州委員会第1副委員長(元オランダ外相)の名前が上がったが、リベラル系の人物なだけにポーランドやハンガリーなど右派勢力の力が強い東欧諸国を中心に反対論が渦巻いていた。このため、首脳会議が繰り返されたものの、欧州委員会委員長を誰にするのかなかなか決まらない状況にあった。こうしたなか、妥協案として出てきたのが、フォンデアライエン氏の名前だった。


ようやく決まった欧州委員会委員長人事。独仏間の主導権争いに加えて、東欧諸国の影響力拡大など一筋縄ではいかないEUの現状を象徴するような一ヶ月となった。7月16日の欧州議会での人事案採択でも定数751議席のうち、賛成したのは383議席と僅差での可決となっている。フォンデアライエン次期委員長は今年11月以降の5年間、難しい舵取りを迫られそうだ。

(この記事は別ブログにて、7月4日に公開した記事を一部編集して再掲載したものです)
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ブレクジットでみんなが勘違いしている5つの話 [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

(この記事は今年6月29日に別のブログで上げた記事を再編集して掲載したものです)
7月23日、ボリス・ジョンソン前外相がジェレミー・ハント外相(当時)との保守党党首選の決戦投票(郵便による党員投票)に勝利。翌24日には英国首相となった。​​​ブレクジット(イギリスのEU離脱)は今年10月末まで離脱期限が延期された状態​​​にあり、英国内外の政治情勢に何が起こるかはわからない情勢だ。その中で離脱強硬派として知られるボリス・ジョンソン氏が首相となっただけに先行きは非常に見通しづらい。そこで、離脱期限まで2か月を切ろうとしている今、ブレクジットで多くの人が勘違いしていると思われることを紹介していきたい。


①離脱をやめるためには国民投票が絶対に必要。何より他の加盟国が残留を承認するわけがない。
→​昨年12月10日にEU法について排他的に判断する権限を有する欧州司法裁判所が加盟国の同意なしにイギリスはEUからの離脱表明を取り消せるとの判断を下している。​つまり、イギリスはドイツやフランスが嫌がったとしても、EUに残ろうと思えば残れる。ただし、離脱取り消しの決定は「民主主義的なプロセス」に基づかなくてはならないとされており、英国の場合は議会での承認が必要となる。逆に言えば、少なくともEU法上は離脱取り消しには国民投票は必要とされていない。
しかし、英国内の問題としてイギリスは2016年に国民投票を実施して離脱を決めた以上、仮に離脱をやめるとなった場合には国民投票の実施せざるを得ないと思われる。


②保守党が離脱推進派で労働党が残留派
→実はそうでもない。保守党にも労働党にも離脱派、残留派どちらもいるのが事態を複雑にしている

そもそも、国民投票で離脱が決定した以上、保守党だろうが労働党だろうが離脱する方向で話を進めなくてはならないのが現状だ。テリーザ・メイ前首相も2016年の国民投票の際には残留派の先陣を切っていた。労働党もこのときは残留を支持していたが、離脱決定後に実施された2017年総選挙でのマニフェストで、国民投票の結果を受け入れると記載している。
こうした中、今年2月には労働党のEU残留派議員7人が離党する事態も発生している。このため、2月末にジェレミー・コービン労働党党首が政権を奪取した場合には国民投票の再実施を党内で検討していると明らかにした。ただ、実際に労働党として国民投票の再実施を打ち出せるかどうかは不透明な情勢だ。

なぜこうした複雑な事態に陥っているかというと、1980年代までは労働党で離脱推進派が多数を占めていたことがある。イギリスでは1973年にエドワード・ヒース内閣(保守党)の時代に当時のEEC(欧州経済共同体)に加盟している。しかし、1974年に労働党が政権を奪取すると、党内でEECへの加盟に関して賛否両論が巻き起こったため、当時のハロルド・ウィルソン政権は1975年に国民投票を実施。このときはこのときは賛成67.2%でEEC残留が決定している。ちなみに、このとき離脱推進を訴えていた1人がジェレミー・コービン氏である。

その後、政権が1979年に政権が保守党へと移り、マーガレット・サッチャーが首相に就任する。サッチャー首相は欧州統合への参加には消極的ではあったが、欧州統合の推進そのものには賛成している。その後のジョン・メージャー首相は1991年にマーストリヒト条約(欧州連合条約)が締結された際には、イギリスを通貨条項(のちのユーロ導入)から除外する規定を盛り込むことに成功する。しかし、翌年の批准作業では党内反対派に加えて、貴族院議員となっていたマーガレット・サッチャー前首相が国民投票実施を求めるなど保守党内は非常に混乱する。しかし、どうにか批准(労働党は棄権している)に成功している。

1997年に労働党が政権を奪還し、トニー・ブレアが首相に就任すると、いわゆる第三の道路線(経済政策を市場経済路線に転換)を打ち出す。この中で欧州統合への積極的な姿勢を見せるものの、欧州憲法条約の批准に関しては国民投票の実施(結局は実施せず)を打ち出して消極的な姿勢も見せている。しかし、2008年のリスボン条約については国民投票を実施せずに批准している。その後、2010年に保守党が政権に返り咲き、デーヴィット・キャメロン政権が成立。すると、EU離脱の是非を問う国民投票の実施を求める声が保守党内を中心に起こり、2015年総選挙のマニフェストに国民投票の実施が盛り込まれ、2016年の国民投票実施、そして離脱決定に至っている。

こうした経緯を見てもわかるように、保守党・労働党双方の政権で欧州統合の枠組みへの参加が進んできた一方で、党内反対派の激しい抵抗にあってきた。保守党は国家主権の観点から反対派がおり、労働党も主に労働組合を支持基盤とする伝統的支持者を中心に東欧諸国からの移民流入による賃金下落の観点から反対派が存在している。このため、「保守党が離脱推進派で労働党が残留派」と単純に割り切れないのが実情だ。


③今年10月末までに国民投票がもう1度実現する
→かなり難しい。そもそも②で述べたように再度の国民投票の実施は仮に保守党と労働党が協力して、国民投票の関連法案成立を目指したとしても、それぞれの党内反対派の抵抗にあう可能性が高い。また、労働党はそもそも早期の解散総選挙を求めており、協力するシナリオ自体が考えづらい。さらに、仮に法案が成立できたとしても、国民投票法の規定により、最低でも10週間は必要と言われている。つまり、10月末までに国民投票を実施しようとした場合、遅くても今年8月中旬までには関連法案が成立していなくてはならない。しかし、それはあまりにも時間がなさすぎる


④国民投票が実施されれば残留派が勝利する
→そもそも2016年に国民投票を実施した際ですら離脱派が勝利するとは誰も予想していなかった。また、今年5月末に実施された欧州議会議員選では、保守党や労働党を抑えて離脱推進を訴えるブレクジット党が英国内で最も多くの議席を獲得した。こうした経緯を考えると、2度目の国民投票が実施された場合に残留派が勝つという楽観的な見方は必ずしもできない。



⑤「合意なき離脱」は起こらない
→これも④と同じで楽観的な見方はできない。今年3月末に合意なき離脱に反対する決議が英国議会で実施されている。しかし、北アイルランドに関する規定で労働党や保守党内離脱推進派の抵抗により離脱協定案が2度に渡った否決されている現状がある。ボリス・ジョンソン首相は「合意なき離脱もありえる」と話しており、合意なき離脱も辞さないという姿勢。情勢次第では決してありえないシナリオではないと思われる。そうなると、英国とEUの間での経済取引や世界経済への影響は想像がつかない。

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トランプ大統領のグリーンランド買収発言、決して突飛な話ではない [アメリカ・ヨーロッパ・ロシア関係]

トランプ大統領、グリーンランド買収構想認める

先日、トランプ大統領が突然発表したデンマーク領グリーンランドの買収構想。これに対して、デンマーク政府やグリーンランド自治政府は反発を示している。

「グリーンランドは売り物ではない」 トランプ氏の取得発言に地元が反論


今回のトランプ大統領の構想は突拍子もない発言と見られているが、実はそうでもない。米国がグリーンランド買収構想を示したのは今回が初めてではなく、1946年に当時のハリー・S・トルーマン大統領もグリーンランドの買収に乗り出したことがある。現在もグリーンランドにはチューレ空軍基地という地球上最北の米軍基地が存在しており、米国にとって戦略上重要な拠点であることを伺わせる。


グリーンランドは大西洋と北極海にまたがる場所にあり、大部分が氷で覆われた約217万平方キロメートルの島。人口は約5万6000人で、大部分がカラーリット(カナダでいうとこのイヌイット)という場所だ。もともとはデンマークの植民地だったが、1979年に自治政府が発足して自治権を獲得しており、現在でも独立を求める声も少なくはない。

米国とグリーンランドの直接的な関わりは第二次世界大戦中に遡る。1940年にデンマークがナチス・ドイツに占領されると、当時駐米デンマーク大使であったヘンリック・カウフマン氏が本国の了承を得ずにコーデル・ハル米国務長官とグリーンランドへの米軍駐留を認める協定に調印した。米国としては豊富な鉱物資源があり、北米大陸にも近いグリーンランドがナチス・ドイツの手中に収まってしまうのを避けたかったため、この協定の調印を急いだ。1940年4月9日にこの協定が締結されると、米国は4月12日にはグリーンランドへ進駐し、チューレ空軍基地や気象観測所などの軍事拠点の設営を進めた。第二次世界大戦後、米国は独立を回復したデンマーク政府と改めてグリーンランドの使用に関する協定を締結しており、現在まで米軍基地が存在している。


<グリーンランドとチューレ空軍基地の位置関係>
グリーンランド改.jpg

米国にとってグリーンランドが何故重要かは、上記地図(グーグルマップより一部を抜き取りました)を見るとわかりやすい。北米とソ連の中間地点にグリーンランドは位置している。チューレ空軍基地は第二次世界大戦中は、欧州への物資輸送の際の中継拠点としての機能しかなかった。しかし、戦後東西冷戦が始まると、ソ連との核戦争に備えた拠点として核兵器を搭載したB-52戦略爆撃機の拠点となった。一時期はソ連からの先制核攻撃に備えて、北極海上空を核兵器を搭載したB-52が常時飛行していた。こうしたなかで、1968年1月21日には、4発の水爆を搭載したB-52が上空で火災を起こして基地近くの海氷上に墜落。核弾頭が破損して大規模な放射能汚染が発生しており、その影響は現在も残っている。


現在では、基地の規模も縮小しており、任務も弾道ミサイルの警戒監視任務や人工衛星の追跡に留まっている。ではなぜ、トランプ大統領は今になってグリーンランドの買収話を持ち出したのか。


そこには、いくつかの要因が考えられる。1つは、中距離核戦力(INF)全廃条約の失効だ。ロシアの新型ミサイル開発や中国の核戦力充実に伴い、トランプ大統領は今年2月1日にロシアに対してINF全廃条約の破棄を通告し、半年が経過したので今月2日に失効した。ウクライナやシリアなど様々な外交問題で米ロの対立が深まるなかで、ロシアの新たな脅威に対抗する手段の充実を模索している米国としては、グリーンランドを正式に自国領とすることで、ミサイル防衛をはじめロシアに対する戦略的優位を確保する面で積極的に活用したいとの思惑を持っているとみられる。


もう1つ要因として考えられるのは、北極海航路だ。気候変動によって氷に覆われていた北極海は通航が可能な状態となっており、ロシアや中国が北極海航路の開拓に乗り出している。アジアと欧州の航路がマラッカ海峡→インド洋→地中海、と進む現在のルートに比べると短縮できることが期待されている。
ただ、これは米国にとって看過できない側面もある。先程のマラッカ海峡やインド洋、地中海は常に米国の艦隊がいるエリアであり、米軍拠点も多い。そこが、米国の強みでもあるが、中露の影響力が強い北極海航路が充実すれば、米国に気づかれずに中露が兵力や軍事物資をやり取りできる可能性が出てしまう。

実際、グリーンランドも中国が自治政府に対して空港整備プロジェクトや地下資源開発を持ちかけており、米国にとっては目と鼻の先で中国の影響力が拡大することを座視することはできない。こうした観点から北極海航路に楔を打ち込むとともに、目と鼻の先にあるグリーンランドで中露の影響力が拡大しないよういっそのこと米国領にしてしまおうと考えても不思議な話ではない。


最初に触れた通り、デンマーク政府もグリーンランド自治政府もトランプ大統領の買収発言を一笑に付しており、グリーンランドが米国領になる可能性はゼロに等しい。しかし、その背景には対中露という米国の安全保障問題があり、さらなる対策を急く中で出てきた構想だということは把握しておくべきだと思う。

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7年半ぶりの更新 [日記・日々の雑感]

ご無沙汰しております。そうてんです。
まさかの…7年半ぶりの更新です。
2012年2月14日に更新して以来、まるっきり更新していませんでした…( ゚д゚)
この間、いろいろありましててっきりすでに消滅したもんだと思っていました。あと、アカウント名を忘れていました。ところが、たまたま生存していたことを把握し、しかもアカウント名もどうにか思い出してこうして再び書いております。驚きだよ…。


そんなわけで、またたまに更新させます。
ちなみに、7年半もあれば考え方も変わっていたりしますので、「昔と雰囲気違う??」と思ってもあしからず。
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私が首相公選制に反対する理由 [選挙・政党・政局]

橋下徹大阪市長が代表を務める「大阪維新の会」が設立する「維新政治塾」が掲げる船中八策の概要が出てきました。その中で「首相公選制」が掲げられております。


日本における首相公選制は1961年に中曽根康弘氏が提唱し始めたことで知られています。当時の中曽根氏は自民党内でも少数派でありました。しかし、中曽根氏が内閣総理大臣になると首相公選制をそこまで強く主張するすることはなくなりました。

その後首相公選制の議論が盛り上がり始めたのは毎年のように内閣総理大臣が替わるような状況の中で「アメリカのように首相を直接選挙で選べば強いリーダーシップを発揮することができるのではないか?」という考えから首相公選制の議論がたびたび出ています。首相公選制を導入するには法律を作るだけではなく、憲法の改正が必要となります。


私は首相公選制には反対の立場をとっています。その理由は次の問題があると考えているからです。
①公選首相と天皇陛下の関係における問題
②公選首相と議会の関係における問題

①公選首相と天皇陛下の関係における問題
現行憲法において天皇は国家元首と規定はされていないものの、ご公務の中には他国における国家元首の職務(内閣総理大臣の任命、大使の認証etc)もあるため、実質的には国家元首であると考えて間違いないでしょう。一方で大統領制の国の場合、大統領が国家元首としての職務を行います。
公選首相が直接選挙で選ばれる以上、大統領的性質を有するので、天皇制との兼ね合いをどうするのか、という問題があります。

ただし、このあたりに関しては例えばイランのように大統領はあくまでも行政府の長であり、国家元首が最高指導者として別に存在する国もあるので兼ね合いさせることは難しくはないと思います。

②公選首相と議会の関係における問題
現行憲法下では内閣総理大臣は衆議院に対する解散権を有し、逆に衆議院は内閣総理大臣に対する内閣不信任議決権が存在します。これを公選首相が有した場合どうなるでしょうか?

公選首相は国民からの直接投票によって選ばれています。つまり衆議院を解散する際に失職することはないのです。さらに、衆議院が内閣総理大臣に対する内閣不信任決議を行った場合、首相は解散権を行使したとしても自らは失職することはありません。余談ですが、アメリカ大統領は下院の解散権なんてもちろん持っていません。世界の政治システムを見ても大統領制で大統領が議会の解散権を持っている国はありません。

では、「公選首相は解散権を有しないし、衆議院は内閣不信任決議権を持たない」とすればどうでしょうか?
大統領制の国であるアメリカでも政治が空転する場合があります。それは「大統領と議会がねじれた場合」です。例えば日本で「総理大臣が無所属(または第三極政党)、衆議院は自民党が過半数を有し、参議院は民主党が過半数を有する」という状況が出来上がった場合どうなるでしょうか? 首相公選制論者が言う「強いリーダーシップ」を首相は発揮することができるでしょうか?

以上の理由で私は現行の首相公選制議論には反対の立場です。では「何が何でも首相公選制には反対か?」と聞かれると、私は次のような形であれば首相公選制を導入してもよいと考えています。それは、現行では議会で行われている首班指名選挙を「直接選挙」にしてしまうという方法です。

①首班指名直接選挙は衆議院議員でなければ立候補することはできない。
②首班指名直接選挙は衆議院選挙終了後30日以内に告示されなくてはならない

こんな感じです。この方法の欠点は解散総選挙後首班指名直接選挙が行われた場合、かなりの時間がかかってしまうことです。この場合は前首相を首相職務代行者とすることになります。この期間を「政治空白」と考えるか「4年間政権を担う人物を選ぶ重要な期間」と考えるかは人それぞれかと思います。

いずれにせよ、にわかに盛り上がり始めた首相公選制論議。是非活発に議論が行われてほしいと思います。
タグ:首相公選制
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「税・社会保障・雇用制度3制度一体改革」 ①その理念

菅政権は大震災前から「税・社会保障制度改革」を進めていた。大震災発生以後は復興予算を捻出するという大義の元、改革案が策定されている。


しかし、私は税制と社会保障制度の2つだけでは改革の意味はないと考える。何故なら、日本において税制はもちろんのこと、社会保障制度も雇用制度と密接な関係にあるからだ。年金制度然り健康保険制度然り雇用形態によって制度がまるで違う。「年金一元化」などという議論もかつてあったほどである。


そこで私は税制と社会保障制度だけではなく、雇用制度(労働基準法etc)を改革することで、単に税収や社会保障制度を安定させるだけではなく、雇用制度を変えることで経済の活性化にも繋げたいと考えている。今後、このブログでは自分の政策案として「税・社会保障・雇用制度3制度一体改革」を考えていきたい。


*基本路線*

雇用制度と社会保障制度の分離
 日本は雇用形態によって社会保障制度が全く違う。特にサラリーマンは年金保険料及び国民健康保険料の半分が企業側の負担になっている。しかし、これはサラリーマンの側にとっては各種保険料の負担が少なくて済むので便利かもしれないが、一方で産業セクター(企業側)は法人税などの税金以外に社員の社会保険料の負担をしなくてはならない。私はこれを「影の法人税」と呼んでいいと考える。その結果、産業セクターはできる限り「影の法人税」の負担を減らすために極力正社員を雇用しないまたは非正規雇用に労働を負担させる、さらには既存の正社員にかなりの無理をさせることになる。そこで改革案では「雇用と社会保障制度の分離」を考えたい。

「余暇の充実」による経済活性化
 日本は世界でも夏期休暇の少ない国である。世界の夏休み平均日数でみても、オーストラリアが一ヶ月半、ドイツで最低33日・最大37日取得できるのにたいして日本はわずか5日である。かつて「日本人は働きすぎ」と言われて様々な改革が行われたが、依然としてその状況は残っていると言える。私は「人間暇なときはお金なくてもなんだかんだで無駄遣いするものだ」と考えている。休日ぶらっと出かけたら2000~3000円使ってた、なんて経験のある方は多いだろう。
 高度経済成長期はいわゆる「三種の神器」や3Cといった消費の牽引役になる商品があった。しかし、現代社会においてはそこそこの家電製品なんかが揃うとなかなか消費しなくなる。しかもまとまった休みがない状態では観光に行こうとか行楽地に行こうとかもなかなかなくなってしまう。余暇を充実させることは経済の活性化にもなると考える。
 
所得再分配機能の充実と企業活動の税負担軽減
 最後に税制である。私は企業にかかる税負担を極力軽減する代わりに高額所得者への課税を強化し、所得再分配機能の充実を考えたい。ただし、例えば子供が3人以上いるなどの条件をつけての減税・給付措置(例えば年収2000万円以上の人は子供が3人いれば○%減税、年収500万円未満で子供が3人以上いれば1人あたり○万円給付)を設けたい。

給与所得世帯への「利益課税」の導入
 自営業者や企業の法人税において、「収入ー生産にかかる費用=利益」でこの利益の部分に課税される。ところが、給与所得世帯は「生産にかかる費用は企業側が負担している」との考え方のもと、受け取った所得に直接課税される。しかし、実際の問題として給与所得世帯も「労働するための費用」が発生している。そこで、給与所得世帯にも「生産にかかる費用」を除することを認めるべきだと考える。ここに関してははっきりとした基準を設ければ大きな混乱には至らない。むしろ給与所得世帯に積極的な消費を促すことになると考える。
 この制度を導入するとなれば「年末調整制度」を廃止して、給与所得世帯も毎年確定申告を行う制度への改変が必要となる。


今回はこの4点のみをあげておく。「税・社会保障・雇用制度3制度一体改革」は単に社会保障制度や税制を変えるだけではなく、雇用制度もかえることで日本の社会環境の変化を狙い、国民生活と経済の活性化・安定化を求めるものである。この案は今後より深く考えていきたい。
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豊臣政権は何故滅んだのか? ~世襲制における後継者決定システム~ [日本史・世界史関連]

現在大河ドラマ「江~女たちの戦国~」が放送されている。個人的にはキャストや脚本にツッコミたい点が山ほどあるが、今回はそれを省略したい。最近の放送では朝鮮出兵や千利休や豊臣秀次が切腹になる過程が描かれている。このあたりについて考えてみたい。


豊臣秀吉は1598年に病死する。その後豊臣政権は豊臣秀吉による独裁から、後継者である秀頼を五奉行・五大老が支える集団指導体制に変化する。しかし、その中で力を伸ばしていった徳川家康とあくまで豊臣政権の維持を目標とする石田三成の対立が激しくなり、1600年に関ヶ原の戦いが起こることになる。


賤ヶ岳の戦い(1583)での勝利で織田信長の後継者としての地盤を磐石にした豊臣秀吉だったが、小牧・長久手の戦い(1584)で戦略的には徳川家康に勝利したものの、徳川家康を滅ぼすことはできなかった。そこで豊臣秀吉は徳川家康に豊臣政権における一定の地位を与えた。その後九州平定(1587)、小田原城の戦い(1590)で北条氏を滅ぼし、奥州平定(1590)を実現したことで豊臣政権は名実ともに天下統一を実現させることになる。


さて、ここからが問題になる。それは後継者問題である。
1589年に生まれた長男鶴松は3歳で亡くなった。このとき秀吉は後継者として甥の豊臣秀次を指名した。しかし、1593年に秀頼が誕生すると、どうしても実子である秀頼を後継者としたかった秀吉は秀次を粛清する。


豊臣政権の滅亡・崩壊は次の3つがあると考える。
①最大のライバルである徳川家康を滅ぼすことができなかった
→反対勢力となりうる存在を残してしまった。
②朝鮮出兵に多くの大名が不満を持った
③後継者問題でもめた。後継者氏名していた秀次を粛清した


この3つは確実に豊臣政権の寿命を縮めたと考えてよいと思う。


この後継者問題というのは現代でも独裁国家だけではなく、民主主義国家でも亡くなった政治家の後継者(地盤を引き継ぐ人)や企業の経営者なんかでもめることがある。後継者問題というのは失敗すると会社を傾かせることすらある。代表的な例としてはダイエーや西武グループなどが挙げられるだろう。逆に成功例としては武田薬品工業や角川HDなんかが挙げられる。


もしも秀吉が秀次を後継者のままにし、朝鮮出兵なんかしなければ、もしかしたら関ヶ原の戦いすら起きる余地はなかったのかもしれない。
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脱原発と日本のエネルギー政策 [そのほかニュース関係]

東日本大震災とその後の福島第一原子力発電所における事故以後、日本のみならず世界中で脱原発の声が日に日に高まっている。ドイツではメルケル首相が脱原発を宣言。また、イタリアは国民投票で90%以上の反対票により脱原発が確定した。日本国内でも脱原発を求める声がある。


まず、欧州における脱原発の動きで忘れてはならない事実はドイツもイタリアも原発大国であるフランスから電力を購入している事実である。つまり両国とも自国内では脱原発しているが、本質的な意味では「脱原発」していないのである。フランスでも脱原発を求める声は高まっているが、フランスにとって原発が発電する電力を欧州各国に販売することは「主力産業」とも言うべき収入源だから、脱原発に政策転換することは難しいだろう。


では、日本では脱原発は可能であろうか?
まず、日本は島国であるから、他国から電力を購入するのは難しい。また、たとえ他国からの購入が可能であったとしても、日本の周辺国といえばロシアや中国、韓国である。現実的に安全保障上の脅威を持っている国であることを考えると、これらの国から電力を購入するのは難しい。
また、日本は四季の変化がある国だ。裏をかえせば気候が安定しないのだ。そうなると太陽光発電や風力発電も安定した電力供給源としては難しい。太陽光発電の導入が進んでいるのは中東の砂漠のような「昼間は雨がほとんどふらず、天候が安定している国や地域」である。風力発電も同様に北海海上のような「強い風が安定的に吹いている地域」である。その点からいえば日本は一時的な太陽光の強い時期や風の強い時期はあるが、それは年間とおしてというわけではない。つまり、現段階で自然エネルギーに頼るのは難しいと考える。


ただし、別の観点(日本は自然災害リスクが高く、あまりに原発を有するのはリスクが高すぎる)から言えば脱原発の流れに私は反対しない。もし脱原発を目指すなら、これ以上の原発の新造は行わず、既存の原発は耐震・耐津波対策をしっかりした上で寿命(あと20~40年)使うべきであろう。その間に新エネルギーの研究・開発に予算と人員を注いでいくべきだと考える。プロセスとしては次のようになる。


①脱原発基本方針を閣議決定した上で「脱原発基本法」を制定。今後原発を新造しないことと既存の原発の耐震性強化、新エネルギーの研究・開発の促進を明文化する。

②寿命を迎えた原発は順次廃炉にしていく。新エネルギー開発(自然エネルギーやメタンハイドレートの火力発電での活用など)を促進。めどがたったものは順次試験用の発電所を建設して使ってみる。

③太陽光や風力は全国的にみても比較的発電量を確保できそうな場所には建設していく。発電量を観察し、増設などを検討していく。

④50年後には脱原発が完了する。日本の電力は様々な発電方法により賄われることになる。


と、いう方向性です。特徴としては一気に原発をすべて止めてしまうのではなく、段階的に脱原発を政策的にすすめることで、安定的な電力供給をしつつ脱原発を目指すことになる。もちろん50年の間に計画の修正なども必要になっていくが大事なのは「計画的に脱原発を目指していく」ことではないだろうか。
タグ:原発問題
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お久しぶりです。 [お知らせ]

こんばんわ。そうてんです。お久しぶりです。
私は現在社会人(嫌いな言葉であるが、一般的用語として使用)として東京都内の金融関係の会社で働いています。とはいっても現在は未だに研修中ですがね。そんなわけで定期的にブログをまた更新していきたいと思います。


2011年はスタートからチュニジアでの民主化革命に始まり、エジプトでのムバラク政権の崩壊、各地での民主化を求めるデモの激化、そしてリビアでの内戦と欧米による軍事介入と中東で大きな国際政治の変化が発生しました。
そして日本では3月11日14:46に宮城県沖を震源とするM9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。それによって発生した巨大津波でおよそ2万5千人という死者・行方不明者を出す大惨事となりました。さらに、福島第一原子力発電所では冷却機能喪失による炉心溶融が発生し、放射性物質が漏洩する事態となってしまいました。


そんな中で私も色々な考えや思索をしております。一方で新しい生活がスタートし、未だ様々な面で慣れていない部分が多いため、不安な面も多いです。


そんなわけで今年度もどうぞよろしくお願いいたします。
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