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政界再編で21世紀に対応できる政党に! [選挙・政党・政局]

9月1日、突如福田首相が辞任を表明しました。
私は個人的に福田首相はあまり好きじゃなかったのですが、まがりなりにも日本の首相をやってきたのです。お疲れ様でした、といいたいと思います。


さて、1945年に日本がアメリカに負けてから、大政翼賛会(このときは大日本政治会)が解散し、日本自由党、日本進歩党、日本協同党、日本社会党、日本共産党の5政党が誕生しました。このとき「敗戦後の日本をどのような国にするか」ということで日本自由党と日本進歩党の保守派と日本社会党と日本共産党の革新系を中心に激しい対立を起こします。そのうち1951年にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が結ばれ、また朝鮮戦争が隣で起こっていることもあって、この対立は収束に向かいます。


そして1955年、安保条約に関して分裂していた左右社会党が再統合されると、保守派政党に対しても統合の声が高まり同年、自由民主党が誕生します。また、この年に日本の経済力は戦前の水準まで回復します。さらに1960年に日米安保条約の改定が住んだことで、日本は高コストを必要とする軍事費をさほど出さなくて済むようになります。また、条約が成立してしまったことで、逆に社会党は矛を収めざるを得なくなります。つまり、終戦直後からのイデオロギー的な政治対立がここで一度収束したわけです。このあたりの日本で重要になってくるのは「いかにして経済を成長させていくか」ということです。ここで重要になってくるのは、あまり政治が混乱しすぎると経済成長の妨げになる危険性があった点です。

この当時、自民党の池田勇人首相は『所得倍増計画』という普通の資本主義国家では考えられない、一種の社会主義国家における計画経済のような手法を使います。皮肉なことですが、資本主義の体制に社会主義のやり方を使ったことで『日本が世界で1番成功した社会主義国家』と今日でも言われることになったのです。このあたりの時代は日本史の教科書では『55年体制』といわれ、自民党と社会党が厳しく対立していた、といわれますが、実はそうではありません。例えば国会で乱闘が起きるとき、社会党側から事前に「今日は議長を議場にいれないようにしますので。」と事前通告があり、自民党側の『乱闘参加予定者』はスーツを破けてもいいものにし、ネクタイを少し緩めていた、といったこともあったのです。いわば「乱闘ごっこ」をしているようなものです。

これが可能だったのは、自民党が経済成長優先ではなく、社会保障や農村への補助といった普通は革新系が叫ぶことをすべてカバーしていたからです。つまり、『55年体制』とは自民党と社会党が対立しながらも、ある面では協調することで政治的安定を作り、経済成長を促進させていたということなのです。これは「日本型開発独裁体制」といえるかもしれません。開発独裁とは「経済発展のため」を大義名分に民主的な制度を抑えていた政権をさし、フィリピンのマルコス政権、インドネシアのスハルト政権、韓国のパクチョンヒ政権などが挙げられますが、実は日本は「経済発展のために、対立する政党同士がある程度協力し合うことで政治的安定を維持してきた。」という開発独裁体制だったのでは、と思います。独裁、というよりは独占、のほうがいいかもしれません。


しかし、80年代、90年代ときて事情が変化してきます。経済の成長も焼け野原の貧乏国家から世界でもトップクラスの工業生産力をもったことである程度安定してきます。さらに政治に対する要望も多様化してきます。国際的には、東西冷戦が終結したことでアメリカとソ連、という強大な蓋によって閉じ込められてきた問題が噴出。とりわけ94年の朝鮮半島危機は日本に対して自前の安全保障体制の必要性を気付かせるものとなりました。これは軍事力に対するイデオロギー対立を復活させることになります。また中曽根内閣以降自民党の政権は資本主義から社会主義までなんでもありな政策をとることから、徐々に資本主義的な市場原理の方向に向かっていきます。小泉政権はいわば『自民党の行きついた先』といえるかもしれません。


さて、長々としてしまいましたが、結論を言いますと、自民党は日本経済を発展させるためには必要なシステムを持っていました。官僚機構や経済界とのつながりは逆にいえば「経済を発展させるために必要なシステムを構築し、必要な政策を官僚と相談して実行する」ということが可能でした。また地元への誘導も住民にとって必要な道路を政治家が官僚に要請する、というこれまた日本経済を発展させていくためには必要なシステムでした。

しかし、経済成長がひと段落してしまうとこのシステムは『癒着』になってしまいました。そのへんは私が語らずともよーく知ってると思います。


1993年に自民党政権が崩壊したときから今までの流れはいわば「これからの日本にとってどのような政治の形が1番いいのかを試行錯誤していた」といえると思います。その中で社会党と自民党の連立(村山政権)という事態も起きたり、また小泉純一郎という政治の世界にとっての異端児が長期政権(でも5年半って世界的にはそんな長くない)を築いたりそたわけです。


今度の総裁選後にあるであろう総選挙、もしくはそのあとにおそらくはあるであろう民主党を中心とする野党連合政権または自民と民主が衆院で拮抗した状態にある自民・公明連立政権という不安定な状況によって間違いなく政界再編が起こるでしょう。このときにおそらくは「次の日本に必要な政治状況」が誕生してほしいと思います。


では、「次の日本に必要な政治状況」とは何か。それは様々な意見を戦わせ、よりよい意見を作っていくことで21世紀のこのカオスな国際状況に対応し、日本の国益を守っていくことではないかと思います。これからはかつてのように軍事というものを軽視できません。かといって、経済の問題も落ち着くわけではなく、世界の情勢と合わせて、より複雑化していくことでしょう。これに対応するには単一の主義・主張で対応するのではなく、かつて日本が資本主義に社会主義の手法を応用したように、様々なものを組み合わせていかなくてはならないと思います。

『経済発展のための政党政治』から『国家基盤を作るための政党政治』へ変化するにはタイミング的にも、また時間としても今しかないと私は思います。
タグ:政治 政党
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ザキ

口だけなら何とでも言えるよね

民主党の皆さん
by ザキ (2008-09-08 18:27) 

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