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防衛大臣は原爆投下という虐殺を容認している! [日本史・世界史関連]

こんにちわ。傷口が日々痛いそうてんです。なんか眠いし(ぇ

米の原爆投下「しょうがない」=ソ連参戦防ぐため-久間防衛相
久間章生防衛相は30日午前、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、米国の広島、長崎への原子爆弾投下が日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだと指摘した上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」と述べた。
 久間氏は長崎県出身。原爆投下を一定評価した発言ともとれるだけに、波紋を広げそうだ。
 久間氏は当時の戦況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」と説明した。 

民主のネクスト法務大臣がバカだと思ってたら自民党にもいましたよ。それも現役の防衛大臣に(笑  

最初に言っておきますが日本は沖縄陥落以降、米国に対してソ連経由で講和の意思を伝えています。もちろん、この事実をホワイトハウスはソ連経由ではいってくる以前に知っていました。だから、米国の広島・長崎への原爆投下が日本の無条件降伏につながったというのはアメリカ側の話を丸呑みしているだけなのです。

実際はこのように、6月下旬の段階で日本政府は敗戦に近い形での講和もやむなし、という方針になっていたのです。しかし、この申し出に一番困ってしまったのはほかならぬ米国大統領ハリー・S・トルーマンでした。当時、米国の原爆開発計画、いわゆるマンハッタン計画にはすでに多額の国費が投入されていましが、すでにナチス・ドイツも降伏していたので、議会からは原爆開発に巨額の予算を使い続けることに対する批判が出ていました。また、戦後に対立することになるであろうソ連に対して戦略的優位を見せ付けるには原子爆弾はちょうどいい兵器でした。

つまり、トルーマンは議会からの批判をかわし、さらにソ連に対する戦略的優位を見せ付けるために広島・長崎に原爆を投下したのです。つまり、日本はちょうどいい実験場所にされたわけです。

1945年7月26日。連合国(米英ソ中)はポツダム宣言を発表しました。しかし、これが発表されたとき天皇制維持を認める条項は削除され、しかも公式の外交文書の渡し方とは違う渡し方がされました。このため、当時の日本政府はポツダム宣言を公式の最後通牒ではなく、警告書のようなものだと考えて扱っていました。また、ポツダム宣言が初めて発表されたときはソ連の名前が出ていなかったので、日本政府はソ連を仲介させた交渉に望みを持ちました。ちなみに当時のソ連に交渉の仲介をする気など全くなく、こちらも満州を攻撃する兵力を整備するための時間稼ぎをしていました。

その結果がどうなったかはよく知るところです。広島・長崎には原爆が落とされ、ソ連は満州国に攻め込み、多くの人命が失われました。ちなみに原爆投下後、米国は天皇制を維持することを認めています。この点から、原爆による都市攻撃を完了したのだから日本との戦争はどうでもいい、という米国の考えを感じざるを得ません。

このように、日本は原爆投下以前から降伏の意思を示していたにもかかわらず、米国は核兵器による都市攻撃実験をするため、ソ連は日本のいなくなる満州を奪い取るためにその意思は黙殺され、尊い人命が失われる結果になりました。今回の防衛大臣の発言は米国が言ったとおりの歴史をただ鵜呑みにしただけのもので、核武装の議論も行われ始めている日本の防衛大臣の認識としてはいかがなものかと疑問に思いますね。それでは^^


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コメント 2

>今回の防衛大臣の発言は教科書に書いてあるとおりの歴史をただ鵜呑みにしただけで、核武装の議論も行われ始めている日本の防衛大臣の認識としてはいかがなものかと疑問に思いますね。

アメリカの教科書ならいざしらず、日本の教科書にはそんなこと書いてないと思うけどねぇ。
by (2007-07-01 04:41) 

そうてん

こんにちわ。
確かに『教科書に書いてあるとおりの歴史をただ鵜呑みにしただけ』←この部分は『日本の教科書がアメリカの作った歴史にそって書かれている』という意図で書いたのですが、かなり誤解を与える表現になっていたようなので修正しておきます。ご指摘ありがとうございました。
by そうてん (2007-07-02 16:09) 

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