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ベルリンオリンピックを忘れたのか? [中国関係]

こんにちわ。

さて、北京オリンピックに向けて媚中派政治家が結束して『北京オリンピックを成功させる会』なるものを作って、中国共産党のプロパガンダ活動に協力しようとしています。北京五輪がいかにプロパガンダ色が強いものなのかは以前書きました。今回は世界史に残る実例をひっぱってきました。そうあの有名な1938年のベルリンオリンピックです。

当時、1934年に総統となったアドルフ・ヒトラー率いるナチスが大きな勢力を持っていました。それに対し、欧米諸国では再びドイツがヨーロッパに戦乱をもたらすのでは、と不安を感じる声の上がる一方で、勢力を拡大してきていた共産主義勢力に対する防波堤としてドイツと仲良くしよう、という意見もありました。

ヒトラーは当初、オリンピックの開催には莫大な国家予算がかかるので反対していました。しかし、ヒトラーはこの平和の祭典をナチスの信用を得るためのプロパガンダに利用することにしたのです。
まず、オリンピック初となる聖火リレーを行いました。このときのルートはギリシャのオリンピアをスタートし、ブルガリア→ユーゴスラビア→ハンガリー→オーストリア→チェコスロバキアを経由してドイツへ運ばれました。実はこの順番を逆にすると、ヒトラーが第二次世界大戦で攻めた順番になるのです。これもプロパガンダの一環と考えていいでしょう。
次にオリンピック初となるテレビ中継を行いました。まだテレビが世界的にも普及していなかった時代で、試験的なものでしたが、後のオリンピック中継につながるかなり本格的なものでした。
そして有名なベルリンオリンピックの記録映画である『オリンピア』の存在。これもまた、映画芸術としての価値が高いとはいえ、やはりナチスの宣伝的要素は否めません。

このオリンピックの前後、ナチスはその排外的、特にユダヤ人に対する排他的な性格を徹底的に隠しました。そのため、ベルリンオリンピックの取材にやってきたメディアは『ドイツは安全な国だ』と信じて帰っていきました。
しかし、ドイツはオリンピックが終わって三ヶ月後の11月8日、水晶の夜と呼ばれるナチス党員や突撃隊によるユダヤ人襲撃事件が発生しています。
にもかかわらず、アメリカやイギリスでナチス脅威論を唱える人々をベルリン五輪を見たメディアは徹底的にたたき、ナチスとの融和を唱える指導者を支持するようになります。
結果、同年のオーストリア併合、翌年(1939年)のチェコスロバキア併合を黙認どころか、1938年のミュンヘン会談でイギリス・フランスともどもナチスによる侵略を容認してしまったのです。このとき、イギリスに帰国したチェンバレン首相を国民は歓喜を持って出迎えました。
その後、ナチスはソ連と1939年8月23日、独ソ不可侵条約を結びます。これにはナチスに反共の防波堤としての役割を望んでいた英仏は驚いてしまいます。そして9月3日のドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まるのです。

さて、今の話をナチス・ドイツを中国、イギリスを日本、ユダヤ人をチベットやウイグル、法輪功の人々に置き換えてみると不思議と話がぴったり合うとは思いませんか? 日本では中国脅威論が叫ばれる一方で、融和論を唱える人がいます。最近では中国は排他的な面を徹底的に隠そうとしています。北京オリンピックの聖火リレーのルートもかなり恣意的なものになっています。ヒトラーはベルリンの成功で自身を深め、オーストリアやチェコの併合、そして第二次世界大戦へと突き進んでいきました。ならば中国共産党も北京が成功すれば、台湾侵攻や再度のチベット・ウイグル侵攻、そして日本侵攻に乗り出さないとは言い切れません。

日本は北京オリンピックをボイコットし、中国共産党のチベット、ウイグルでの虐殺や法輪功の弾圧を非難し、世界に中国共産党の危険性を知らしめるべきではないでしょうか。ベルリンのときのイギリスにならないためにも。


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