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現代戦において徴兵は無意味 [外交・国防・領土関係]

自民が「徴兵制」検討? =幹事長、即座に否定談話 自民党憲法改正推進本部が4日まとめた論点整理で、徴兵制の検討を示唆するかのような表現があり、大島理森幹事長が慌てて否定の談話を発表する一幕があった。 論点整理は、「国民の義務について」の項目で、ドイツなどで、国民の兵役義務とともに良心的兵役拒否の権利が定められていると指摘。その上で「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて、さらに詰めた検討を行う必要がある」と、徴兵制検討とも受け取れる表現が盛り込まれている。これに関して大島氏は同日夜、「論点整理はあくまでも他の民主主義国家の現状を整理したものに過ぎず、わが党が徴兵制を検討することはない」との談話を発表した。(yahoo!の時事通信記事より引用) 


まず、この記事にツッコミたいのは「どこをどう読めば徴兵制検討となるの?」である。今回の大島氏の発言は「民主主義国家における兵役義務の意味」つまりは世界の民主主義国家において兵役義務がどのように考えられ、また運用されているのか調べてみようという話である。私は1つの視点としてそこから安全保障を考えるのはただしいと思う。むしろ時事通信はどうしてこのような解釈をしたのか謎である。


そもそも、第二次世界大戦前ならいざ知らず、現代戦において徴兵制はほぼ無意味といえる。その理由には次の点が挙げられる。

①戦争のハイテク化とそれによる兵士の高度な専門化
まず、1番に挙げられるのはこれである。現代における戦争はコンピュータが使われるのが当然となっている。例えば地上戦において航空機による爆撃支援を要請する場合、アメリカ軍ではノートパソコンを使って敵の位置や座標を基地に送っているそうだ。また、各種兵士がもつ装備から大砲、戦車までその高度化はすさまじい。それに伴って兵士に求められる能力もただライフル銃をもって戦うだけではなく、このような装備を使いこなせなくては作戦行動全体に支障を来すことになる。そうなると、徴兵で少々訓練しただけで使い物になる兵士を育成できるか疑問になってくる。今や兵士は武器や戦闘だけではなく、各種方面の技術においても専門化しているといえる。


②核兵器などの大量破壊兵器の登場とそれによる大規模な戦争が発生する可能性の低下
かつて、戦争は数の勝負であった。多数の兵士を集められればそれだけで勝てたといえる。しかし、ABC兵器(核・生物・化学兵器)の登場によって多数の兵士を少数の兵力でも撃破できる強力な兵器が登場し、戦争が数だけでは勝敗を決し得ない時代となった。特に核兵器はその破壊力から大国同士の大規模な戦争を抑制するに至った。一度大規模な戦争になればお互いが滅びかねないからだ。


つまり、「兵士のプロフェッショナル化」によって徴兵制で集めた兵士を育てただけではとても現代戦に対応出来ず、また大規模な戦争が発生する可能性が低下し、大量破壊兵器のような低コストで強力な抑止力となる兵器が登場したことで兵士の数を揃えられるだけ揃えるという必要性がかなり低下したため、徴兵制は無意味になったといえる。


ただし、日本において100%無意味かというとそうではない。例えばもしも日本が敵国に本土を占領された場合に抵抗する兵力として、いわば「最後の砦」としての兵力を育成するためならば徴兵制もアリではないかと考える。敵国が本土を占領した場合の抵抗運動は相手国の体力をじわじわ削る効果がある。ベトナム戦争におけるベトナム、ソ連のアフガン侵攻におけるアフガンの戦い方がこれである。現代の徴兵制ではスイスがこの目的で徴兵制(国民皆兵制)を採用している。


しかし、私はそれでも日本に徴兵制は必要ないと考える。そのコストに比べて安全保障上の強力な抑止力とは言えないからだ。むしろ、最も低コストで強力な抑止力となる核武装なんかを真剣に議論した方がよっぽどいいように私は思う。いずれにせよ、徴兵制もまた、真剣に議論するべきである。そこから「本当の意味で国を護るにはどうすればよいのか」が見えてくるかもしれないからだ。
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